大久保さあの独り言

政治からスポーツまで世の中に起きる様々なドラマを一刀両断

簡単に博識になれる方法

顧客「大久保さんって本当に博識ですよね。どんなネタでもついてくるし。

一体、どんな記憶力してるんですか?やっぱビジネス書とか新聞を何誌もくまなく読んでるんですか?」

私「いや新聞は奥さんが呆れるくらい適当にしか読みませんよ。多分、毎日五分くらいです。しかもそのうち多分半分はテレビ欄とスポーツ欄ですし。まあ一面くらいじゃないですか。ビジネス書に関しては一切読みませんよ。だって、くだらない記事、正確性に欠ける記事ばかりですから。はっきり言って時間の無駄です。」

顧客「えっ。じゃあその知識はどこから来ているんですか。」

私「何となくニュースを見たり、新聞を軽く読んだりして違和感を感じることってあるじゃないですか。それをただ自分が納得できる程度ググって調べるということを繰り返すんですよ。その方が時間もかかりませんし、だいたい納得できる事実に辿り着きますから。残念ながら、ほとんどの答えは下手にビジネス書とか専門誌を読むより、ググったり、YouTube見た方が早いでしょうね。」

顧客「私なんか、大久保さんに追いつきたくて新聞を結構時間をかけて読むんですけど、大久保さんには全然ついていけないし、納得できるように説明してくれるからいつも驚かされるんですよ」

私「新聞やテレビは出来るだけ見ない方がいいですよ。どんどん真実から遠ざかっていきますから。世間じゃこんな風に言われているのかぐらいで真に受けずに聞き流しておかないとダメだと思いますよ」

 

私が博識かどうかは知らないが、もし私が博識だとするなら、その方法はテレビや新聞が簡単にウソをつくことを知り、自分で簡単に検索してみるという癖をつけることですな。

 

ポストコロナの「新しい社会」の考察する

 コロナ後の世界は本当はどう変わるのか。

これは最近、仕事先でよく聞かれる。「大久保さんはどんな風に変わると思いますか?日本一仕事が出来る大久保さんの予想を聞きたいです。」などである。

私は「そんなもん、分かる訳ないでしょ。ただ一つ言えるのは今予想されるように急激に変わらないでしょうという事くらいかな」

顧客「結構有名な経営者とか、学者とか有識者なんかも劇的に変わるってみんな言ってますよ」

私「あの人たちはただのポジショントークですから。自分の立場だとこんな風に言うべきなのかなって思って言っているだけでしょ。そんなもん、真に受けてどうするんですか。専門家ももっともらしいことを言うことの専門家であって、予想を当てる専門家じゃないでしょ」

顧客「そうかなあ」

私「あなたがそうだと思うなら、そう思う方はいっぱいいるでしょ。それによって、そういう流れが出来ることはあるかもしれない。でも、それって予想を当てることとは違うでしょ。予想に近付く原因をその専門家や経営者が自分で作っている訳だから。予想なんてその程度のモノですよ。彼らはそういう風に予想しているような顔をして、自分たちの主張する社会に誘導したいだけだから。それ自体は別に悪いことでもない。でも、それを理解せずに聞いているとミスリードになっちゃう」

私「その専門家が言うことがどれくらい信ぴょう性があるか検証してみればいいじゃないですか」

顧客「そんなことどうやって出来るんですか?」

私「簡単にできますよ。10年前の著書とか論文とか見たら、その後実際どうなったか答え合わせできるじゃないですか?ほとんど外れてますよ、多分」

顧客「やっぱり大久保さんには敵わないなあ」

 

これが実際に交わされた会話である。

私が主張したいことがほとんど盛り込まれているので、まずは紹介した。

 

言うまでもないが、テレビなどに出てくる専門家とはその程度のものである。専門家の言うことだからと割と真面目に聞いている人が多いのだが、個別のクライアントに対してではなく、一度に多くの人に主張できる人の方が意外と予想の結果の責任を問われることが少ない。理由は簡単でマスコミ自体が無責任な予想や主張の巨大な塊だからである。

だから、そんな真似をするはずがない。こうした事は言われてみれば、簡単にわかることではあるが、理解できない人も多い。テレビが嘘を言うはずがないと思い込んでいるからである。だが、テレビやマスコミとは実際にはその程度のモノである。

有識者や専門家もよくよく話を聞いてみると、違和感を感じることはないだろうか?その違和感の正体が何かは分からなくても、そのあなたの何となく抱いた違和感の方がよほど当てになると思ってまず間違いない。

 

要はマスコミや専門家の話を鵜呑みにせず、自分の目の前の顧客や周りの人の話を聞いて、自分の頭で考えたことの方がはるかに合理的だと言うことだ。

 

もう少し自分を信じようじゃないか。

年金2000万問題に見るメディアの愚

最近、テレビだけを賑わせているニュースがある。

老後資金2000万円問題だ。

テレビでは国が国民を騙したがごとく、報道している。

 

結論から言おう。

これは地上波テレビによるマッチポンプである。

 

私に言わせれば、これは新しい発表でもなければ状況の変化でもない。

現状を伝えただけである。

まず、年金だけで老後が安心などと思っている人は相当少数だろう。

多くの人は、年金だけでは生活できないと分かっているから、貯蓄をしたり働き続けるという選択肢を取っているだけであり、

こうした報道をうけて驚いた人の方が珍しいだろう。

 

では何故このような大して意味のないニュースを繰り返し報道するのか?

私はシンプルに考えて、政権叩きの「ネタ切れ」だと思う。

 

安倍政権を批判する材料は他にもいくらでもあると私は思う。

だが、現在主にテレビから情報を得ているのは元々リテラシーが低い人々である。

リテラシーが多少でもある人は、テレビのニュースを鵜呑みにすることなど無いし、

そもそもテレビ自体を見ない。

つまり、政治に関心が薄くリテラシーが低い人が反応しやすいニュースという条件で拾うと、年金ネタくらいしかないのだ。

 

企業はサービスや製品を提供し、競争の中でユーザーと対話する。

その中で、企業は成長し、ユーザーもどんどん賢くなり、要望も増えていく。

ユーザーの要望が増え目が肥えていくということは、企業もユーザーもお互いによって成長していくのである。

それが自由主義社会、資本主義社会が繁栄してきた理由である。

 

翻って、現在の地上波テレビは電波というこれ以上ない既得権益に守られ、ユーザー(視聴者)との対話で互いに成長するということがない。

 

テレビは資本主義の恩恵が及ばない「大きな陸の孤島」なのだ。

 

 

 

丸山議員の「戦争発言」の是非

先日、知り合いの女性に「私、博識の大久保さんに聞きたかったことあるんです」と切り出された。

仕事についての相談かと思って黙って聞いていたら、

「丸山さんの戦争発言ってどう思います?あんなのダメじゃないですか」とのこと。

丸山さんの戦争発言とは言うまでもなく、丸山穂高議員の「戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?」「戦争をしないとどうしようもなくないですか?」との発言だろう。

 

結論から言おう。

私はこの発言の何が問題なのかさっぱり分からない。

酒で酔っての発言だとか背景はこの際置いておこう。

この発言自体は一般論としてはその通りだと思う。

武力による奪還を最初から放棄している我が国が北方領土を取り戻せていないことは事実だし、竹島においてもそうなのだから事実に基づいた発言といえるだろう。

 

もっと言うなら、他国が武力で奪った領土を武力以外で取り戻すのは金しかない。

これは拉致問題とも本質は全く同じであり、拉致をしても領土を奪っても痛い目を合わせられることなく、逆にお金がもらえる状態では相手にインセンティブを与えるだけであり、交渉においても相手次第である。(こちらが払う金の額まで相手次第である)

これはあらゆる交渉の場の常識だが、『決裂した時の損害が大きいほうが必ず折れてくる』の図であり、相手が日本国の場合、決裂した場合のリスクは「日本がスネる」だけであると言って過言ではない。

 

何故、このような簡単なことも分からない人が多いのだろう?

私は日本人が「とにかく戦争はダメなんだ」という認識だけは共有している珍しい国だからだと思う。

彼女においても愛国者であり、憲法改正論者でもある。

それでもいざ「戦争」というマジックワードが耳に入ると思考停止になるのだろう。

 

だが、「憲法9条があったから日本は平和だった」という護憲派と「憲法9条さえ変えれば日本の安全保障問題は解決する」と信じる改憲派は実は全く同じことを言っている。

現実には法的に可能になるという事と実行できる能力を持つ事と実行する事は、全て別だという事を理解していれば、このような非論理的な話にはならない。

まして、この程度の発言で問題になることなどない。

 

丸山議員の発言を叩く前に「なぜこうした議論が国会の場で堂々と出来ないのか」を

考えてみるほうが余程建設的だと思うのは私だけだろうか。

高齢者の運転の是非とは

高齢者による池袋の自動車事故が発端となって

高齢者の運転の是非が話題となっている。

この話題、これまでに何度も同じような議論の繰り返しをしている気がする。

 

私は高齢者に自主返納を促している限り、この問題が解決することはないと思う。

客観的な基準を決め、それを満たしてなければ更新できないようにするべきだ。

また、それはある年齢に達したらという基準ではなく、年齢は関係なく基準を満たさなければ免許を更新させないという形の方が高齢者から見ても納得が得られやすいはずだ。

そもそも、運転免許を取得するときに年齢は関係ない。

高齢者でも運転能力があれば免許を取得できるし、比較的若くても運転能力が低ければ免許を取得できないのだから、免許を取得した後も同じ基準でやるべきだというのが論理的であり、安全面でもいいはずだ。

 

また田舎では車がないと不便だという論調も珍妙であり、論外である。

例え事故であったとしても「人が人を殺してはならない」という安全性が、それぞれの人々のの利便性に優先されるからこその議論なのであり、不便の度合いで認めるかどうかを議論すること自体が馬鹿げていると思う。

 

それはそれ、これはこれ、なのだ。

緒方氏の主張に見える日本の問題

熊本市議選で乳児同伴で本会議場に入って物議を醸した緒方氏が再選を果たした。

民意は尊重すべきだが、緒方氏のこれまでの言動は理解できない。

乳児同伴の場合は「子育てと仕事を両立しようとしている女性たちが直面している問題を体現したかった」と緒方氏は語っている。

これは目的が正しければ手段が正当化されるというテロリストと同じ発想であり、

法治社会の原則にも反している。

まして、議員は公人でありルールを作る側の人間である。

民間人ならいざ知らず、議員自らが目的を果たすためにルールを公然と破るのは

いかがなものか?

 

緒方氏に限った事でないが、このような主張する方に多く見られる傾向かもしれない。

民主主義社会とは自由に自分の主張をしていい社会だ。

ただ、これには常に法やルールを守ることが前提になる。

何故なら、誰かが自由に主張・行動した結果、他人の自由を侵害することがあるからだ。

だからこそ、その時代によって或いは価値観によって変わる不自由ができるだけないようにルールを変えるのが議員であり、民主主義社会の原点なのだ。

 

だからこそ、議員自らはルールを守り、常識を持って行動してほしいものである。

転職とは?人間にとって仕事とは何か?

春は出会いと別れの季節である。

ビジネスの場合だと、転職する人も多い。

仕事の会話の中で「大久保さん、俺転職考えてるんですよ。大久保さんはどんな時に転職決めました?」なんて聞いてくる人もいる。

 

私は『人は自分を最も活かしてくれる場所で働くもの』であり、またそれを目指すべきだと思う。

決して、仕事のきつさや給与などが重要なのではない。

ただ現実には多くの人が自分が活かされているかなどと考えることもなく、良くも悪くも仕事と割り切ってやっているのだろう。

でもそれでは仕事など面白くなるはずはないし、面白いと思って仕事に取り組んでいる人間には絶対に勝てないだろう。

 

職場の上司がどうのとか会社の雰囲気がどうとかは一度忘れて、

今自分は職場で活かされているか?そう自問自答すべきだ。

活かされてなく、より活かされる環境があると確信するなら迷わず転職すべし。

確信がないなら自分が変わらなければ転職先でも同じだろう。

 

もう一度、言おう。

人は自分を最も活かしてくれるところで働くものだ。